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これだけあれば

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「君は本当に幸せだ」
10年ぶりに会った友達がつくづくと言う。
再会できてという話ではなくて、本の話である。

20代の初めに『指輪物語』を、吉原幸子を教えてくれた本友達。
ミステリ好きの私がディック・フランシスを読んでいないと聞いてのひと言だ。

競馬小説だとは知っていたけれど、ギャンブルとしての競馬ではなく、
イギリスの競馬界周辺の人々を主人公にしたシリーズである。
主人公には騎手もいれば銀行家、調教師もいて、
それぞれが社会に適応しにくい生きにくさを抱えているが、
詐欺、殺人、誘拐…さまざまな事件を背景に自分への肯定感を得ていく。
ストーリー、人物設定ともよく練られていてイギリス独特の重厚感がある。

最初の1冊を読んで「お宝」と判明。
「貸してあげる」というご親切に甘えて読み始めた。
37冊で終わってしまうシリーズなので、次々と手を出すのがもったいない。

最初に借りた10冊を「けちけち読んでいる」と言ったら、
「これだけあれば当分大丈夫だろ?」と言って次の10冊を貸してくれた。

なんて幸せなこと。
それでもけちけち6冊目を読んでいる。

by m-teshigoto | 2014-06-29 16:12 | 読む | Comments(0)  

言い換え

昨日の文中の「昇華」は、やや大仰な表現だった。
誤用とまではいかないけれど、そんな偉そうな言葉を使わなくてもいいところだ。
哲学の生かじりをして、言葉の使い方を間違っていては本末転倒。

さて、それではどう言ったらいいか。

「哲学という別の次元の言葉に触れることで××とでもいおうか。」
「気分が変わる」では安直すぎ。
「混沌から抜け出す」といったところか。

by m-teshigoto | 2013-12-04 23:32 | 読む | Comments(0)  

寝る前に読む本

寝る前には、ほんの数分でも本を開く。
読みかけの本を開くこともあるが、
一日のざわついた気持ちを静めるには、定番本の方が効果がある。

東京では武田百合子の『富士日記』、
山ではこのところアランの『幸福論』ほか、哲学系の本を読む。

「系」というのはあくまでそれらしいからで、
『壁にぶつかった時に読む哲学の本』『はじめて読む哲学の本〈人間関係篇〉』
(いずれも梅香彰著)というタイトルからはどうしても自己啓発を連想してしまう。

デカルト、カント、ヘーゲルetc.
それこそ教科書にも出てくる賢人たちの言葉ががたっぷり引用され、
そのエッセンスにふれることができる。
卑近な例と一緒にかみ砕かれた哲学というのもなかなか面白い。

「ユングがフロイトを批判するのは、愛という問題を『体に規定される衝動』である性欲に還元してしてしまえば、スタンダールの言う『結晶作用』といった、こころの作用が扱えないということである。なぜ『結晶作用』が起きるかはフロイトの理論では説明できない」(梅香彰著『壁にぶつかった時に読む哲学の本』)

胸を占めるその日の出来事や、ああだこうだ頭を駆け巡るおしゃべりも、
こんな文章を読むとすっと頭から消えていく。
哲学という別の次元の言葉に触れることで昇華していくとでもいおうか。

おかげで、このところ眠りの質がだいぶ良くなったように感じる。

by m-teshigoto | 2013-12-03 22:40 | 読む | Comments(0)  

歳月を経て

暑さに負けて病欠。
元気はまったくないけれど、時間だけはたっぷりある。

20歳は遙か遠く、老いを友にするにはまだためらいがある。
次の一歩が踏み出しにくい、そんな年頃。

人との繋がりを思う時、日常の積み重ねの大切さを思う。


「最後の晩餐」

明日は入院という前の夜
あわただしく整えた献立を
なぜいつまでも覚えているのかしら
箸をとりながら
「退院してこうしてまた
 いっしょにごはんを食べたいな」
子供のような台詞にぐっときて
泣き伏したいのをこらえ
「そうならないで どうしますか」
モレシャン口調で励ましながら
まじまじと眺めた食卓

昨夜の残りのけんちん汁
鶏の唐揚げ
ほーれん草のおひたし

我が家での
それが最後の晩餐になろうとは
つゆしらず
入院準備に気をとられての
あまりにもささやかだった三月のあの日の夕食

(茨木のり子「歳月」)

by m-teshigoto | 2013-08-14 09:18 | 読む | Comments(0)  

余白

夕暮れを待ちながら詩集などを読んでいる。
20歳の私がたどった言葉の道。
出口のない感情の嵐の中で、その道は険しかった。


「これから」

わたしは 生れてしまった
わたしは 途中まで歩いてしまった

わたしは あちこちに書いてしまった
余白 もう
余白しか のこってゐない

ぜんぶまっ白の紙が欲しい 何も書いてない
いつも 何も書いてない紙
いつも これから書ける紙

    書いてしまえば書けないことが
    書かないうちなら 書かれようとしてゐるのだ

雲にでも みの虫にでも バラにでも
何にでも これからなれる いのちが欲しい

出さなかった手紙
うけとらなかった 手紙が欲しい

これから歩かうとする
青い青い野原が欲しい

(現代詩文庫56「吉原幸子詩集」)

by m-teshigoto | 2013-08-10 16:30 | 読む | Comments(0)  

記憶の中の詩

20歳の頃、息もできないほど苦しい時期があった。
見かねた友人が、転地先に送り込んでくれたおかげで、なんとか生き延びた。
転地先から戻って手にしたのが「吉原幸子詩集」(現代詩文庫56)。
それから30代の半ばまで、その詩集はいつも座右にあって、
鏡のように折々の感情を映し出してくれた。

しばらくぶりでページを開くと、言葉の陰に、当時の自分の思いが見え隠れする。
変わったようで変わっていないし、20歳の痛みは今でも痛い。


  「塔」

あの人たちにとって
愛とは 満ち足りることなのに

わたしにとって
それは 決して満ち足りないと
気づくことなのだ

<安心しきった顔>
を みにくいと
片っぱしから あなたは 崩す
   −−−崩れるまへの かすかなゆらぎを
   おそれを いつもなぎはらうようにーーー
あなたは正しいのだ きっと
塔ができたとき わたしに
すべては 終わりなのだから

ああ こんなにしたしいものたちと
うまくいってしまうのはいや
陽ざしだとか 音楽だとか 海だとか
安心して
愛さなくなってしまうのは苦しい

崩れてゆく幻 こそが
ふたたび わたしを捉へはじめる
ふたたび
わたしは 叫びはじめる

(現代詩文庫56「吉原幸子詩集」)

by m-teshigoto | 2013-07-24 09:28 | 読む | Comments(0)  

スウェーデンが面白い

スウェーデンのマイ・シューヴァルとペール・ヴァールーの夫婦合作によるマルティン・ベックのシリーズに夢中になったのは、もう数十年前のこと。パートナーの死によってシリーズが唐突に終わったのを心から惜しんだものだった。

先年は「ミレニアム」が話題となって、ふたたびスウェーデンのミステリの面白さを堪能した。これまた原作のスティーグ・ラーソンはすでに亡く、次作を望めないのはまことに残念。

さて、久しぶりに書店の文庫本、それも海外ミステリの売場に足を運んでみると、目に飛び込んできたのは「北欧警察小説の金字塔」の文字。さらに「シリーズ累計4000万部」とある。2001年初版と、かなり時間が経っているのだが、テレビ映画化されたことで脚光を浴びているらしい。

主人公は小さな田舎町の刑事ヴァランダー。何かと問題を抱える傷心の中年男ながら、捜査にかけてはすぐれた洞察力とひらめき、そしてたぐいまれな粘りを見せる。事件の展開もさることながら、同僚の刑事たちの個性や暮らしぶりなど、シリーズならではの変化に富んだ背景もまた、知り合いを訪ねるのに似て、楽しみのうちだ。

シリーズは「殺人者の顔」「リガの犬たち」「白い雌ライオン」…

刑事が公衆電話を探して街を歩き回るという時代の警察小説の、なんとなつかしいこと。そういえば、エド・マクベインの87分署にも携帯電話は出てこなかったような気がする。

2冊読んでひと休み。
3冊目は買ってあるのだが、もったいなくてまだ開けない。

by m-teshigoto | 2013-07-07 21:25 | 読む | Comments(0)  

記憶の修正

『終わりの感覚』ジュリアン・バーンズ著 土屋政雄訳
人間はたとえ間違った記憶でも、それがあったと本人が信じているかぎり、その記憶を生きた経験を内包している…と、どこかの本にあった。人は、時に思いもかけない形で過去に向き合わざるを得ないことがある。人生の終盤にさしかかった時、自分の過去からタブーの領域を少しでも減らすことができたら、たとえ幸せではなくても、少しは平和な心持ちでいられそうだ。
この本についての川本三郎によるレビュー。
「生きることとは過去を思い出すことなのかもしれない。年齢を重ねるほど過ぎ去った時がよみがえる。とりわけ多感な青春時代が。決して懐かしいのではない。長く忘れていた、いわば『音信不通』だった過去はあくまで苦く重い。(中略)思い出すとは悔恨に向き合うことなのだろう」

by m-teshigoto | 2013-03-12 10:17 | 読む | Comments(0)  

コスモスの影には

『コスモスの影にはいつも誰かが隠れている』藤原新也著
記憶の中に点在する人の気配。時にふと、その気配が濃くなって、くっきりと姿が浮かび上がる。今は亡き人、行方のわからない人etc.時々に出会った人へのレクイエム。たとえその人生が過酷だったとしても、いつか誰かにこうして思い出してもらうことができたら、どんなに幸せなことかと思わせる。

『なにも願わない手を合わせる』藤原新也著
カメラマンなのに、なぜか写真より文章に引きつけられる。『東京漂流』を最後にずいぶんご無沙汰していたが、『コスモス〜』を読んでどこか共鳴し、このところ続けて読んでいる。生きることの通奏低音ともいえる「死」を、タブーとせず親しいものとして描いているからかもしれない。

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by m-teshigoto | 2012-10-10 12:55 | 読む | Comments(0)  

読んでも美味しい保存食

『季節の保存食』石原洋子著
やってみたいことと実際にやることは別なのだけれど、料理の本というのは、読んでいるだけで充分「やったような気」にさせてくれる。それが楽しさともいえるので、この本に載っているピクルスや醤油漬けの数々も、その気になっているだけで、まだ実践に至っていない。ただ、何を思ったか、本を買ってすぐに「牛すね肉のつくだ煮風」を作った。見た目も美味しそうで、お弁当にも重宝しそうだった。たしかに美味しい、ご飯も進む。でも、リピートする気はなかなか起きない。手間もさることながら、なんとなくピンと来なかったという感じ。考えてみたら、保存食の楽しさは、季節感の余韻を味わうことにある。梅干しやラッキョウ漬け、イチゴジャムも、盛りを過ぎてしばらく後が食べ頃になる。牛すね肉には、そうした魅力が今ひとつということか。

『魔法のびん詰め』こてらみや著
文庫サイズなので、バッグに入れて連れて歩く。この夏は、この本のレシピを参考にしば漬けと茄子のオイル漬けを作った。自分では作りそうもないソースやタレの作り方も、読み物としては面白い。柚子ポン酢は作れそうなので、冬になったら作ってみようと思っている。そういえば、冷蔵庫に元気のないニンジンがある。買ったばかりの減らないキャベツとコールスローにでもしようか。読めばマヨネーズを一さじ入れると美味しいと書いてある。これは試してみなければ。

by m-teshigoto | 2012-09-24 15:13 | 読む | Comments(0)