カテゴリ:入院四方山話( 9 )

 

「赤い踵」

靴下を履こうとして気がついた。両足の踵が赤くなっているのだ。
「?」
そう、一日中ベッドの上にいるから、シーツとの設置点が赤くなったのだ。
「!」
2ヵ月に及ぶ入院生活の行き着くところは褥瘡(床ずれ)…
それに気がついたら急に怖くなってしまった。

字が書けようと話ができようと、ベッド周りにしか自分の空間がない。
身動きのできないお年寄りと同じなのだ。
せいぜいベッドを下りて椅子に座れる程度の差しかない。
もう少し謙虚でいようと思う。

何がこの確信に近い自信を生むのかわからないが、
明日は来るし明後日も来ることをつゆとも疑っていない。
2回の手術と記憶の空白を抱えながらも、自分でも驚くほどの楽天ぶり。
もしかしたら、脳の中の何かが壊れたのかもしれないな。

それにしても赤い踵か…

※「入院四方山話」は入院中にノートに書き綴った文章を再録しています。

by m-teshigoto | 2017-09-04 18:56 | 入院四方山話 | Comments(0)  

「外へ」

「ちょっと外を歩いてみましょうか」と午前のリハビリで言われる。
「えーッ!」
何かと言えば、このままだとパジャマ姿で外へ出ることになるのだ。
着替えはあるけど時間がない。
「駐車場ならいい」と妥協する。病院の駐車場を歩けばいいのだ。

5月だというのに暑い、陽ざしも強い。
日焼け止めの代わりに乳液を一塗りしてでかける。
緑色の囚人服みたいなパジャマにソックス、スニーカー。何より超短髪の頭には向こう傷。犬の散歩のおじさんが、すれ違いざま一瞬固まってうなり声を上げそうになった犬に「静かに」とあわてて声を掛ける。
結局、駐車場を出て公園までをパジャマで歩く。

「どうですか」「大丈夫ですか」と療法士の人に声を掛けられても無言。
地面がでこぼこしていてぐらつくが、なんとか足裏で踏み留まっている。
とっても小走りで道を渡ることなどできそうにない。
動作って様々な体の動きの組み合わせなのだとあらためて思う。

杖の練習もする。足と腕とのタイミングが難しい。
使えるようになっておこうとは思っているのだけれど。

午後は同じコースを普段着に着替えて歩く。
さらに公園から通りへ出て自宅まで行く。
暑かった。

歩いてみると不自由なりに歩ける。
頭の具合、めまいの予兆をセンサーできるかというのが課題。
振り向く、前屈みになることは要注意。
先は長い。

※「入院四方山話」は入院中にノートに書き綴った文章を再録しています。

by m-teshigoto | 2017-09-03 21:01 | 入院四方山話 | Comments(0)  

「リハビリ」

2ヵ月に及ぶ入院で、急性期、回復期と2つの病院をハシゴした。どちらの病院でも元気の良さそうな体格のいい若者が「××さん、リハビリのお誘いに来ました」とベッドにやってくる。朝食を終えた後、食休みにも飽きた頃合いだ。何回か通ううちに担当の人とも顔なじみになり、時間の見当もつくようになる。さらにここ(転院先)では表になって貼られる。「午前11時〜理学療法」「午後3時〜作業療法」と。

最初の病院での理学療法は①座って足踏み、足伸ばし(負荷1kg)②立ち座り10回③内股ボール挟み10回④チューブを使った両足開き⑤バー伝いの横歩き3往復⑥輪投げを使った全身の曲げ伸ばし⑦ステップ左右各10回⑧階段上り下り(11段)。作業療法は①7kgの箱の押し引き20回②コップ30個の移し替え左右各1回③小さなピン64個の移し替え左右各1回④ハンドグリップ10kg左右各50回⑤立ち座り⑥輪投げを使った開脚。

連日メニューは変わらず。初めの頃は大した運動量はないと思っていたけれど、そのうちにリハビリの抜けた日は運動不足を感じるようになった。理学、作業とも担当者は女性だった。だからという訳ではないが、今から思えばよく話したし、それによって医師にもこちらの状態が伝わったようだ。「今日はご気分どうですか」という質問は答えにくいけれど、運動しながらだと「今日は寝不足で力が出ない」とか「頭が重い」など、言葉が漏れるから、そこから話がほどけてくる。リハビリの目標がどこにあるのか、何が目的なのかはわからないまま言われたとおりに体を動かしていただけというお粗末だったが、気分転換にもなり、療法士の見守りが心強くもあった。

目標といえば、ここ(転院先)でのリハビリの目標は、家へ帰って家事ができるようになることだという。かなり具体的。家事には色々な動きがあるから、立っただけでふらつくようでは全部できないだろうと思う。体育の授業のような筋トレ中心の理学療法と、お盆に水の入ったコップを乗せて歩くような作業療法の積み重ねの向こうに日常生活が見え隠れしている。

※「入院四方山話」は入院中にノートに書き綴った文章を再録しています。



by m-teshigoto | 2017-09-01 18:29 | 入院四方山話 | Comments(0)  

「アラカルト」

★窓の外
屋根の間から一握りほどの翠が見える。公園の木々の一角だ。あとは隣接するマンションの巨大なパラボラアンテナ、家々の屋根…それくらいのものである。早朝には鳥が飛び交う。今朝は珍しく尾長がアンテナに留まっていた。それ以外はせいぜい鴉か鳩だ。前の病院の窓の外は満開の桜だった。「南」という名の通り日当たりのいい病棟には4月早々から空調が入っていた。
そうね、大切なのは景色よりも外気が入ることかしら。細めに数センチ開けておくだけでひんやりとした空気がかすかに感じられる。外気と繋がる開放感。ほんの数センチで自由を得られる。

★日常
ほとんどベッドの上で暮らしている。食べる時は椅子に座り、リハビリでは歩くが、残りの時間は行く場所もないのでベッドの上。膝の間にボールを挟んで気休めの筋トレ。漢字のクイズ、数独、読書、折り紙、編み物…大したことはしていない。ラジオを聴くのはクラシックの時だけ。後は、老人たちのナースコールか寝息を聞く。

★振り向いちゃダメよ
トイレで。パンツを上げながら立ち上がり振り向いてレバーを下げる…この一連の動きをコマ送りのようにやる。「立つ」OK「パンツを上げる」OK「振り向く」OK、おっと前屈みにならないように膝を曲げて「レバーを下げる」。油断すると頭が揺れるから気をつけなきゃ。
階段の踊り場でも、右目に情報が多く入ると(右足を軸にして回ると)頭が揺れる。左足を軸にするとうまく回れる。でも、意識しないと振り向きざまクラッということが多い。ああコワッ。。。

★遠目の世界
少し無理をしながら本を読んでいる。難易度ではなく、目を使うのが難しいのだ。あつらえたメガネは合わず、市販の老眼鏡を使うか、裸眼で用を足している。クイズ程度ならなんとかなる。ただ、せっかく頭がリセットされる時期なら難しい本も読めるかもと欲を出したら元の木阿弥。頭痛、目の痛み、めまいの三点セット。仕方がないので午前中はメガネ禁止とする。
それで窓の外を眺めている。マンションの裏側だったり小さな家の屋根だったり、大したことはないけれど、空と雲が見えるだけでも目の保養。

★病院食
このところ頑張って食事は完食している。大して苦にはならない。不味くても美味しくても、文句を言わずに食べることができるくらい元気が回復したと考えている。
お世辞にも美味しいとは言えないが、そんなことに引っかかる(文句を言いたくなる)感情が動かないのだ。結果として、食べ物にこだわらない方が体力がつくことに気がついた。病院食で腹八分目などと言っていたら基礎代謝分がやっと。リハビリや余力の分は、残りの二分目をお腹に納めようとする気力で養われているのだと思う。
たまたまサプリの服用許可を得ようと医者に談判する男の人の声を聞いたが、そうしたこだわりは信仰のようなものだと感じさせる口調だった。こだわっているから病を得がちになるのでは?何かがなくてはいけないのではなく、あるものを受け入れる…そこに命の源があると感じる。


※「入院四方山話」は入院中にノートに書き綴った文章を再録しています。

by m-teshigoto | 2017-08-27 18:09 | 入院四方山話 | Comments(0)  

「柑橘類」

最初の手術の後、一口食べたオレンジで、ぼんやりしていた頭にピカッと光がともった。そのオレンジの香りと甘酸っぱさに、「美味しい」という言葉が思わず出た。たぶんこれが術後最初の記憶だ。

以来、食後という限定はあったものの、差し入れてもらった黄金柑、甘夏、オレンジ等を少しずつ口にした。友人Sは容器に入れた剥いた甘夏を、友人Iはオレンジを食べやすいように房に分けてくれたり、各人各様に協力してくれた。

朝食時に来る回診の先生たちも「柑橘類ある?」と声をかけ、食べているのを見ると「食べてる、食べてる」と妙に嬉しそうなのだ。実感としては、くたくたの煮た野菜に比べ、生気いっぱいの果物を一口食べると体が目覚めるのだ。先生たちも「ビタミンがいいんだ!」と思っていたかどうかはわからないけれど、術後の回復と柑橘類との関係を観察していたのかもしれない。

退院の日、いつもは二切れのデザート(甘夏が多い)がオレンジ三切れになっていて、退院へのはなむけのような気がして嬉しかった。

※「入院四方山話」は入院中にノートに書き綴った文章を再録しています。



by m-teshigoto | 2017-08-26 19:19 | 入院四方山話 | Comments(0)  

「回診」

医療系のテレビドラマの圧巻は院長回診だ。お供をぞろぞろ連れて病棟を回り、ベッドの上でかしこまる患者にお言葉を賜る…そんな図式が最近は定型化している。最初にいた病院では診療科単位の回診だった。それも毎日。整形外科の患者さんの多い病室に脳外科の患者は私一人。そこに、5〜6人の脳外科医が連れ立ってやってくる。同じ階の廊下の向こうが医局なので、遠くから話し声が近づいてくるのがわかる。

「○×さ〜ん」と入口から人の名前を呼ばわるのは研修医のmセンセ。いつも笑顔で声のでかい、太い黒縁メガネのハンサムである。何かの折に「おじいさん先生でも、軍医だった人はもっと注射が上手だ」と言ったら、黙ってブスッ!。「痛ッ!」さしずめ私は注射の練習台といった役どころで、ずいぶん腕を貸した。時々夕方にもひょっこりやってきて、笑顔で手など振って去っていく。場違いなほどの明るさという印象もあったが、その笑顔は日々の慰めになった。若者相手に言いたいことを言うと気晴らしにもなった。さすがに気が咎めて、退院する朝に「暴言ばかりでゴメンナサイ」と言ったら「ぜんぜん暴言なんかじゃなかった」と笑っていた。

5〜6人の中には部長先生も主治医のI先生もいるのだが、「元気そうだね」「まだ(頭が)晴れてるね」にはじまって「食べてる?」「柑橘類は?」等々、言いたい放題的にあれこれ言葉をかけて帰っていく。最初の頃は「なんだ?」と思っていたが、今にしてみれば、この回診のおかげで元気でいられた。「調子はどうですか」という定型の問いかけに痛みや不具合を口にすれば、すぐに薬が出たり処置が施されたりしたから、こちらの顔色や声音をはちんと観察していたのだろう。

初めての入院、ましてや手術までして、トイレも食事もすべて人の手を借りての生活は不自由だったが、ある種、食べ出し眠り動くことが自分が回復する唯一の道なのだということを、回診のまなざしが教えてくれたように思う。

※「入院四方山話」は入院中にノートに書き綴った文章を再録しています。



by m-teshigoto | 2017-08-25 18:45 | 入院四方山話 | Comments(0)  

「黒い粉」

枕なしで寝るようになって5ヵ月になる。寝る時には、頭の下にバスタオルをランダムにたくし込んみ、その窪みに頭を落ち着かせる。すべて頭に残る手術の傷(創部)のためである。「痛いッ!」というほどではないけれど、「あーあ、まだイタイ感じだな」くらいのところだ。

最初の手術の後は、頭皮の下は“脳まんま”ということもあって、傷の痛みより頭痛やめまいの方が辛かった。頭蓋骨を外した右側前頭部は日に日に凹んできて、精米した米のようになった。痛くも何ともなく、ただただ斜めに尖っていく頭は、じつに笑える形であった。そして頭蓋再建の手術日程が決まり、朝の回診で主治医のI先生に「ちょうど切り頃だね」と言われたのだった。

再建手術も予後が順調で、痛みもなく感染症もなかった。そのかわり同じ所を二度切ったために縫い目の数だけは多く、抜糸(抜鈎)は3回にわたった。来たばかりの研修医の先生の顔があまりに真剣なので「大丈夫?」と不安だったが、急がずていねいにやってくれた。夕方の回診でやっと主治医のI先生が登場。創部を一通り指でなぞって、「残っていませんか?」と疑り深げに聞いた私に「カンペキ!」と言う。

ところが、指にはツンツン硬い感触がまだあって、爪で引くと1ミリくらいの針金が抜ける。時には3ミリくらいのもあって「あらっ!」と思うと髪の毛だったりする。針金と区別がつかないとはね〜、なんと剛毛だこと。

転院してからも、思い出したように傷口をなぞると、かさぶたがあったり、針金があったり。つい爪を立ててしまう。痛くもないけれど、用心のため塗り薬を塗っておく。そして朝になって見ると、枕代わりのバスタオルの上に黒いポツポツが…。針金の粉だ。シャンプーもしているのに、まだ残っている。痛いような懐かしいような。黒い粉が見えなくなる日が来ると思うと、なんとなく寂しいな。


※「入院四方山話」は入院中にノートに書き綴った文章を再録しています。




by m-teshigoto | 2017-08-24 21:26 | 入院四方山話 | Comments(0)  

「一進一退」

ある朝、ベッドから頭を持ち上げようとするとめまいがした。頭ごとメリーゴーランドに乗っているみたい。以来、足のふらつきよりもめまいが常態になった。トイレもダメ、ほんの数歩離れた洗面台までも歩けない。歯磨きもベッドで「くちゅくちゅぺー」(看護師さんの使う符牒)に。移動も車椅子に逆戻りになった。

このめまいは何?
脳?
耳石?
ずっと続くの?

急に不安になって、その日は朝食も食べられず、リハビリにも行かなかった。

そんな様子を知ってか知らずか、介護士さんが「一進一退だからね。少し疲れたのかも…」と、配膳の折にポツリと言った。「そうか、頑張りすぎたのかも」と、その一言に慰められ、少しずつ気分が落ち着いてきた。2、3日すると、午後にめまいが軽くなることに気づき、ようやく見守り付きながらトイレに歩いて行けるようになった。

リハビリでも、「前より良くなっていますね」と言われると、だんだん丈夫になってきたような気になる。体力、持久力という程のことではなくて、ガマンのきく体になってきている。美味しくても不味くても食事をちゃんと食べる、その積み重ねで体が少しずつできてくるという実感もあった。

病院での日々は、慰められたり誉められたりの一進一退。でも、リセットされた脳は限界を知らない。疲れを感じず不得手感もない。よし、やってみて面白そうならやろうじゃないか。


補足:運動が苦手だったのにリハビリで体を動かすのが苦にならなかった。運動能力を伸ばせるかもと思い、療法士の人に教わりながら、筋肉を意識して体を動かすようになった。

※「入院四方山話」は入院中にノートに書き綴った文章を再録しています。

by m-teshigoto | 2017-08-23 21:06 | 入院四方山話 | Comments(0)  

「退院前夜」

明日が退院、今日が退院と言っても格段の嬉しさがわく訳でもなく、つまらない手順ばかりを考えている。それは、病院という安全圏から出るのを不安がっているからかもしれない。人頼み、人任せのラクチン生活。投薬や医療処置を受けながら、食事を与えられ、介助付きの入浴もある。周囲の出来事にさえ順応できればいい。

2ヵ月に及ぶ入院生活で2回目の退院。1回目は、執刀医の元から離れるのが心細かったが、それは自分の中だけのことで、医者もスタッフも日常の営みに追われ、患者の退院は単なる区切りとしか感じていないのがよくわかった。

そして2回目。スタッフの人が退院当日は休みだからと事前に挨拶に来てくれたり、めまいの時に支えてくれた男の介護士さんが「病院に戻ってきちゃダメだよ」と握手をしてくれたり、リハビリの人が立ち寄ってくれたり、ささやかな交流があった。

不思議なことに退院の日が迫るにつれ、それまで濃かったスタッフとの繋がりも急激に薄まってくる。「また明日」や「また今度」のための「今の関係」を良好にしておく必要なくなり、互いの相性の合う合わないだけが残った繋がりになる。これから先ふたたび会うことのない人に対しては、無関心とは言わないまでも、興味が薄れていく。人間関係とは、次の機会のために努力するものだとわかった。

寂しい気もするけれど、まずは退院だ。
人のいない空間で一人になって歯を磨き、顔を洗いたい。それだけだな。


※入院生活は通算67日間であった。そのなかで、日々のメモのほかにノートに書き残した何編かを「四方山話」として再録することにした。ほんの感想ではありますがお付き合いいただければさいわい。

by m-teshigoto | 2017-08-15 20:39 | 入院四方山話 | Comments(0)