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名残の紅葉

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紅葉を見ることなく伯父が逝った。
70代に「90歳までの人生設計はなんとか立てられたよ」と言っていた言葉通り、90歳の誕生日まで1週間を残しての旅立ちだった。

元々は信金に勤める銀行マンだったからお金の計算や事務処理には細かく、親戚の集まりの後に来る費用明細は、几帳面な字で1円単位まできっちり書き込まれていて「さすが」と周囲を唸らせた。一方で、そうした計算の強さは差配にも生かされて、片付けを苦にしない(するけれどやり通す)ところを見込まれて、伯母の家や仏壇の整理などは私の役割となって、この10年程は伯父の薫陶を受けた日々も多かった。

伯父には、再婚していたにもかかわらず兄弟にも親戚にもそれを明かさず、お連れ合いが亡くなった時にはじめて告白したというエピソードもある。以来30年、さいわいお連れ合いのお嬢さん達とは交流が深く、「おとうさま」「おじいちゃま」として慕われていたし、この夏には、血は繋がらないけれど曾孫の顔も見られて、家庭人としては幸せな晩年だったようだ。伯父が入院してからお嬢さんのご家族と過ごす時間が増えたが、これまで知らなかった伯父の側面を多く見ることになった。

ここ数年は毎週のように電話で話し、年に数回は会っていただけに、その伯父がいなくなってややぼんやりしている。聞いておきたいこともあったし、話しておきたいこともあった。それももうできない。セレモニーなどでお嬢さん達の家族と並んでいながら、やや遠い目でその風景を見ている自分がいる。



by m-teshigoto | 2015-11-06 14:25 | 人&人 | Comments(0)  

国会前

月曜日、午後4時過ぎに国会前へ行った。
霞ヶ関駅から桜田門へ回り、正面から国会議事堂を見た。
左右の舗道には「法案反対」のメッセージカードを掲げる人々が、グループであるいは単独でたたずんでいる。まだ早い時間だったので静かである。

国会に向かって右側にはステージがあって、応援演説や基調報告がテレビでもよく報道されているエリア。1時から始まった座り込みの人たちが静かに座っている。一方左側は、写真撮影が一切禁止の肖像権を保護されたエリアで、高齢者や赤ちゃん連れはこちらへと、会場案内があった。

三々五々人が集まり、6時過ぎには仕事帰りと見えるスーツ姿もぞくぞくと増えて、ほぼ立錐の余地がなくなった。それでも最初の頃は機動隊によって通行ゾーンが確保されていたのだが、「道を開けろ!」「開けろ!」のシュプレヒコールがそこここであがって、集会開催後30分には、車道にも人があふれ始めた。

数カ所に設置されたスピーカー、無料で配られたペンライトなど、せいぜいがトラメガとビラだった世代には、いかにも平成の示威行動という印象だったが、年齢を超え、多くの人が目的を同じくして一堂に会する会場は昔も今も変わらないマンパワーを秘めている。ただ、残念なことに、近くの人がつぶやいていたように「それでも法案は可決されるんだよな」というのが現実ではある。だったら全て無意味かといえば、そうではない。ここでの動きは将来世の中を変えていく。高校生が、大学生が、この光景を忘れずに選挙権を行使し、あるいは政治家を目指す。即効性はないとしても、未来に希望がある。これだけのエネルギーが雲散霧消するはずがない。

杖を突いた70代とおぼしき男の人が、思い切ったように顔を上げ、国会へ向けて坂を上っていく。横断歩道の中央分離帯では、制服姿の女子高生が数人、国会を見上げてたたずんでいる。50代〜70代の夫婦連れが口々に「今度の選挙で落としてやる!」「それしかないよね」と語り合っている。

国会前。
これだけの人が集まっているのに、国会の建物は静まりかえっている。
40年前だったら言えたのにな「出てこい!」って。

by m-teshigoto | 2015-09-16 13:02 | 人&人 | Comments(0)  

どこかで聞いたような

東京にいる2日ほど国会中継を見た。
安保法案を巡っての与野党の攻防という緊迫した情況…のはずが、なんか変。
カラーボードを用意して発言する議員の質問が、質問になっていない。
ほとんどが状況説明で、最後に「こうなったら」「ああなったら」という想定上の対応を「総理のお考えは?」という質問形で終わる。

状況説明の文言を聞いていて感じたのは、「この人は自分で考えて話していないな」ということ。誰かの書いた文章を読んでいる、それも気の抜けた当たり障りのない文章をやや芝居がかった高調子の声で言っているだけなのだ。

よく聞いていると、その元の文章というのは、説明しているようで大事なことは何も言っていない、どこかのカタログにあるような商品説明に等しいのだ。あるいは、代理店が企業に出す分厚い企画書の文章。大事そうに言っているけれど中身がほとんどない見た目だけよい文章。かつては自分も書いていたから言うのだけれど、ほんの5行あるかないかの資料を元に1ページを埋める文章を書こうと思ったら、中身なんぞはどんどん薄まって、それらしい装飾語ばかりが並ぶことになる。

議員は質問をしているのではなく、プレゼンテーションをしているのだと思って聞いてみると、あの中身のないパフォーマンスぶりが理解できる。

それにしても、原発再開、安保法案に加え、灰色のオリンピックまで背負って、日本はどうなるのだろう。それこそ、勇気ある撤退、本気のリセットはできないのだろうか。

全国各地の放射線量の測定がボランティアによって進められていて、山の家で測定に協力した。地表5cmと1mでの測定値は0.05。だからといって「ああ良かった」と喜べないのが今の日本なのだ。

by m-teshigoto | 2015-09-06 10:31 | 人&人 | Comments(0)  

関さんの詩集

福島県二本松市に住む関さんとは20年来のお付き合いである。
砂浴のスタッフとして、猪苗代湖の砂浜で砂に身を横たえている参加者にせっせと砂を掛けてくれ、その合間にギターを抱えて自作の歌を歌ってくれた。

311で6人の家族がばらばらに暮らすようになり、関さん自身は、福島の子供たちの保養を佐渡島の「へっついの家」を運営するかたわら、全国を回って福島の「今」を語っている。日々の中で書き続けた詩を集めて詩集『原発いらない、いのちが大事の歌』を発行しており、この1月に第4集が出た。

福島の状況は政治と行政の復活宣言で覆われつつあるけれど、日々暮らしす人たちの意識の階層化は、福島を分断してしまいそうだ。

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by m-teshigoto | 2015-04-06 11:56 | 人&人 | Comments(0)  

忘れないこと

日帰りで東京へ出て、江古田で開かれている映画祭へ行った。
「3.11福島を忘れない」と題したこの映画祭に、福島の知り合いが作った「むすんでひらく へっつの家〜保養がつなく大家族」も上映される運びとなり、トークもあるとのことで、久しぶりに顔を見に出かけることにした。

佐渡島で行われている福島の子供たちの保養。放射線量が多く、外で遊べない子供たちを佐渡島に連れて行き、共同生活をしながら自然の中で思いっきり遊ばせようというプロジェクト。生活環境を変えることで健康回復を図るという目的もある。借りた家の土間に「へっつい」をみんなで作ったことから「へっついの家」と名付けられている。

「安全回復キャンペーン」だけがニュースになる福島では、県民感情にも温度差があり、健康のため保養をすることへも、「そたらこと言うでねえ」という声が多いという。それでも、子供を案じる親たちは幼い子供を連れて県外へ移住し、それが叶わないなら、せめて1週間でも10日でも環境の良い場所で過ごさせたいと、「へっついの家」へ参加する。

「へっついの家」は、地元の人たちの協力を得て運営されているが、子供たちを連れて行く福島の人と受け入れ側の佐渡の人との連携は最初からうまくいったわけではなく、回を重ねる中で、かなりシビアな話し合いをしながら、少しずつ形が出来上がってきた。映画には話し合いの場面も収録されていて、子供たちへの思いは同じでも、それぞれの立ち位置によって考え方、受け取り方がどれだけ離れているかがリアルに伝わってきた。それでも「保養を続けたい」という福島の人の気持ちに佐渡の人が応えて、5年目を迎えようとしている。

ふだん私たちは、生活が根底から引っ繰り返る経験をすることなど想像だにしない。けれども、現実に家へ帰れない人たち、家族が離ればなれになっている人がいる。そうした現実を忘れず、思いを馳せること、できたら何か自分なりに出来ることをする…それが同じ日本に住むということなのではないか。

父が会津出身であること、そして福島にはこの映画を作った関さんをはじめ20年来の知り合いも多いことから、少しだけれど福島の人に心を沿わせ、お手伝いを続けたいと思っている。

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by m-teshigoto | 2015-03-07 16:51 | 人&人 | Comments(0)  

わさび漬け談義

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山へ向かう途中、立川に寄って伯父に会う。
今年90歳になる伯父とは、私からは山梨の葡萄、伯父からは新海苔の佃煮と、
数年来、季節の贈答を交わしている。

今年も「海苔が来たよ」と電話をもらい、ご機嫌伺いに立ち寄った。

焼酎で晩酌すると聞いていたので、暮れに取り寄せた「寝太郎」を持っていくと、
伯父からは、海苔の他にわさび漬けを貰う。

「あら、嬉しい」といいながらも、内心ではちょっと困っている。
味覚においてまだ幼児性の抜けない舌なもので、実は得手ではないのだ。
とはいえ、伯父から老舗の味のひとくさりを聞かされた後では無下にもできない。

昔ながらの桶の中は5つに分かれたパック。
風味と鮮度を保つ工夫なのだろう。時代だなぁ。

ほんの少し箸先にのせ、恐る恐る口に運んでみる…美味しい!
鼻に抜ける香りと辛味に加え、糀の風味がいい。
かすかに甘く、それでいてさっぱりしている。

しおりに「お茶漬けにおにぎりに」とあったので、さっそくお弁当はおにぎり。
「あら、美味しいじゃないの」と2日連続。
お醤油ひとたらし、熱々ご飯…いやいや、にわかにわさび漬けに開眼してしまった。

伯父に電話してお礼を言ったら「そうだろう」と嬉しそう。
なんと、今度は個数限定の「金印」を取り寄せて下さるそうな。

伯父とは長い付き合いだけれど、わさび漬けの話で盛り上がるとは思わなかった。
その息災に心から感謝している。







by m-teshigoto | 2015-01-16 16:25 | 人&人 | Comments(0)  

11月

今日は母の命日だった。
晴れた晩秋の朝に、ふと思い出した。
母の亡くなった朝は、寒い雨が降っていた。母は28歳だった。

11月に見送った人は多い。
大学時代、同級生が不本意な死を迎えた。20歳。
その時の衝撃は今も深く心を動かす。

2006年には伯父。86歳。
病院のベッドでの日々を、ただそばに居ることしか出来ないまま見守り続けた。

そして先日、青森の知人が逝った。81歳。
何も知らず、時候の挨拶をしたためたハガキを出したのだ。
珍しくメールが来て、「具合が悪く、電話で話すこともできない」とあった。
美食家で、知識欲旺盛、手仕事、料理にも堪能。
帆立の佃煮、ハタハタの醤油漬け、ミズのおひたしなど、北国の味を教えてもらった。
強さを感じさせる人だから、時間が経てば回復すると思っていた。
数日後、お嬢さんからの訃報のメール。言葉もなかった。
20歳で死んだ同級生と同じ日に逝ったので、11月の重みが増した。

何気なく朝を迎え一日を始めていて、さして心が重い訳ではないのだけれど、
ふとしたはずみに、言葉や声や場面や仕草で、逝った人たちがよみがえってくる。
とっても近くに感じるその不思議。
最近、逝った人たちに無性に手紙を書きたくなることがある。





by m-teshigoto | 2014-11-18 22:40 | 人&人 | Comments(0)  

なめこ汁

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会津の山奥に父の従弟を訪ねる。

年老いた夫婦二人が「なんしてぇ」などと、
怒ったり怒られたりしながら仲良く暮らしている。

心尽しのなめこ汁につきたての餅。

すっかり話し込んで帰り際
「また会えそうだなぁ」とおじさんが笑って言う。

どうぞお達者で。
来年の秋、また来るからね。

by m-teshigoto | 2014-10-25 10:54 | 人&人 | Comments(0)  

写真を撮る人

写真展へ行った。
ダムに沈んだ岐阜県の山村で、村が消えていくまでの日々の記録。
撮影したのは女性で、当時は珍しかったカメラ(ピッカリコニカ)を手に、
61歳の1977年から88歳で亡くなる2006年までの間に
村の行事や日々の生活、そして1軒また1軒と村を去っていく人々の後ろ姿を
10万枚にのぼる写真に残した。

道端で遊ぶ子供たち、恥ずかしそうに笑いながら肩を寄せ合う老夫婦、
運動会、村祭り、野辺送り…
小さなサービス版には、今もどこかにあるだろう生活の一コマが切り取られている。

そうした日常が、ダム建設によって失われた。
反対派と推進派の対立、転居に戸惑う老人、無人になった家屋の取り壊し等、
今もどこかで繰り広げられている光景かもしれない。

どこの家にも1枚や2枚はあるであろう身近な写真風景だけに余計、
レンズを向け続けた意志の強さがにじむ。

「国のやることには勝てんからな。戦争もダムも、大川に蟻が逆らうようなことをしとってもしょうがないで。そんなバカなことをするよりも、本当に村がのうなってしまうかもわからんから、そうならんうちに少しでもな、いろんなことを残しておこうと思うようになったんだな。残しておきたいという気持ちは、あきらめからきてるもんだな」(増山たづ子『すべて写真になる日まで』より)

by m-teshigoto | 2014-07-20 21:32 | 人&人 | Comments(0)  

梅干し外交

月末なので、駐車場代を払いに不動産屋さんへ行く。
いつの間にか10年の付き合いになって、奥さんが歌舞伎好きなことや、
ご主人の趣味(?)は梅干し作りであることなど、問わず語りに知ることとなった。

お弁当に梅干しが欠かせないと話したことがきっかけで、一昨年初めて
ご主人特製の梅干しをもらった。
大きな梅干しなので、お弁当には半分にして入れる。
1年半かけて食べ終え、器を返しに行ったら「食べてくれたんですね」と嬉しそう。

それが先月末のことだった。
そして昨日、今月分を払いに行くと「良かったらどうぞ」と梅干しをいただいた。
寝かされた年月が感じられる2008年製の梅干し。嬉しいこと。


クラス会の後に写真を送ってくれる人、手作りジャムを送ってくれる人、
自家菜園の野菜を送ってくれる人etc.

それぞれがそれぞれの方法で音信をくれる。
写真の処分には困るが、送ってくれる人のことを思えば無碍にも出来ない。
ちょっと皮肉を込めて「写真外交」と名付けて甘受している。

さしずめ不動産屋さんの場合は「梅干し外交」といったところかしら。


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by m-teshigoto | 2014-06-27 12:51 | 人&人 | Comments(0)