4/4のカンファレンス抜粋

治療の経緯については、4月4日のカンファレンスで詳しく聞いた。
同席した友人がまとめてくれたレジュメから抜粋する。
(3月29日にもカンファレンスがあったようだが記憶がない。)

◎救急搬送された折の容態と手術への経緯
意識はあったが医師からの問いかけに不適切、混乱した回答をした。黒目の位置も左右不揃い。検査の結果、頭蓋骨左後頭部を骨折、反対側の右前頭部に硬膜下出血があり、脳の位置もずれていることがわかった。放置すると脳の浮腫が進み脳幹を圧迫する危険が認められたため、緊急手術を行った。開頭手術により血腫を除去。顕著な脳圧の上昇があったため、切除した頭蓋骨の一部を外した状態にしてある。脳の浮腫が治まった時点で、再手術により代替骨を入れる予定。(右前頭部脳挫傷、周辺の硬膜下・くも膜下の出血、右目奥の出血)

◎術後の治療と見通し
脳浮腫の抑制、鎮痛。動眼神経麻痺(両目で見ようとすると焦点が合わない等の症状)は改善する可能性もある。感染症を警戒。脳の痙攣も起こりえるので、自動車の運転については1年以上経過してから。ある程度回復してみないと後遺症(歩行障害、高次脳機能障害)が残るかはわからない。

◎ソーシャルワーカーの見解
集中的にリハビリに取り組み、必要ならリハビリ病院への転院もしくは通所リハビリを考える。一人暮らしのため、配食サービス等で家事を軽減する。障害が固定したら、障害認定を受ける。



# by m-teshigoto | 2017-07-07 15:23 | 病院のベッドの上で | Comments(0)  

日記代わりのメモ 〜4/16

4/10 頭痛ひどし。頭凹む。※a明日から鎮痛剤がロキソニンに。7時と19時の2回。胃薬も出るとのこと。3月分の入院費の請求あり。

4/11 曇り。気温低い。お祖母様のちゃんちゃんこを着る。※b背中が楽。朝食はハムと野菜、味噌汁とご飯、ヤクルト。途中で採血。下手。痛い。後でCTと言語療法。今日は転院の人がいる。静けさに期待。※c

4/12 夜間にトイレ1回。朝はまだ。回診2回。※d「顔つきよろしい」とのこと。手術は来週木曜日に。カンファレンスを依頼する。(転倒のきっかけになった)気絶の原因は不明。ただし、追加の検査はあるかも。頭痛少々。痛み止めを頓服でもらう。

4/13 12時友人H、15時友人S。紅茶、果物、新聞、アイス。耳の後ろがシ〜ンと鳴る感じ。(立って歩くと)目の裏は白くならないが、なんかヘン。今日は血圧140以上。薬効減。どーなる?

4/14 眼科へ。視野、視力はOK。ただ両目の調節ができにくい。午前2回、午後1回検査。頭痛は改善。回診はいつも通り。(目は)再手術後に変化もありそうだし、もし疲れがひどければ「眼帯を」と主治医のI先生。

4/15 土曜日。早朝主治医のI先生。カンファレンスは来週火曜日。一人で説明を聞くと伝える。ただ従兄が手術に立ち会うので、もし何か質問したら答えてあげてくださいと頼む。I先生は目の件について質問し、私に答えさせて黙って聞いている。朝食時の回診は4人。眼帯の話ある。タオルで右目を覆うと光が遮られてラクになると話すとわかってくれた。Thank you! 朝食時に甘夏4分の1自力で食べる。※e

4/16 日曜日。夜中に一人入院。人の出入りで目が覚める。隣は鼾。寝不足。朝食:卵(スクランブルエッグ?)、くたくた野菜、梅干し、味噌汁、ご飯。あと甘夏。昼、I先生より手術前の説明。組織の癒着等あれば出血のリスクあり。時間も多少かかる。術後に脳の痙攣はあるかも。(頭蓋骨の代わりに開頭部分を覆うのに使う)チタンメッシュが合わない、または感染症になると再摘出、再手術になる。半年は骨を外した状態での生活となる…。質問せず「お任せします」と言う。認知症を発症する可能性はあるかも…とのこと。心配しても仕方ないね。


※補足
a;最初の手術後、脳内圧力が高まったので頭蓋骨を外したまま縫合。減圧が進んでくると気圧によって外してある部分が凹んでくる。「お米みたいになるよ」とI先生。たしかに精米したお米のように額から頭頂部にかけて弓なりに凹んだ。
b:パジャマだけでは背中がひんやりするので、自宅からちゃんちゃんこをもってきてもらう。泥大島を仕立てたもので、祖母とお揃い。絹の柔らかさと真綿の温かさが体にやさしかった。
c:同室には認知症の方が何人かいて、それぞれに症状が出るから絶えず騒がしい。じっとしたままそれを聞いているのも忍耐を要することだった。
d:毎日朝食時に医師の回診がある。5〜6人でやってきて{××さん!」「おはよう」「どう?」「食べてる?」など、口々に声をかける。どの先生も笑顔で元気。ついこちらも笑顔になってしまうのだ。
e:柑橘類は、たいがい友人が剥いて持ってきてくれた。自分で剥こうとすると、外側の皮を剥くのにも袋を開くのにも時間がかかった。

# by m-teshigoto | 2017-07-06 10:56 | 病院のベッドの上で | Comments(0)  

計画書によれば

ベッドの上の日常には慣れつつあり、気分的にも珍しく落ち込まなかった。
頭痛、めまいなどの身体的な変化にも「あらあら痛いじゃないの」といった感じ。
多幸感とまではいかなかったが、気持ちはわりと平穏だった。
とはいえ、ベッドの上から動けないのだから、それなりの容態ではあった。

病院の作った「退院計画書」には、「退院困難な要因」として「緊急入院である」「入院前に比べADLが低下し、退院後の生活様式の再編が必要である(必要と推測される)」「排泄に介助を要する」とある。ADL向上のための支援者は医師、看護師、管理栄養士など8名。予想される退院先は「自宅または回復期リハビリテーション病院」。

入院から1週間後の「リハビリテーション総合実施計画書」に見る身体機能は「中枢性麻痺左ステージⅥ※a」で「疼痛:頭痛」あり。基本動作は「手放しで立位保持」「一部介助により歩行」。「整容」と「靴の着脱」は自立。「車椅子への移乗」「椅子の座位保持」「ベッド起き上がり」「食事」「排尿」「更衣」は監視対象。「屋外歩行」「階段昇降」そして「入浴」は非実施。コミュニケーションの欄には「閉眼傾向も、良好」。※b

※補足
a:ぎこちなさはあるが協調性や速度はほぼ正常。
b:天井の蛍光灯がまぶしくて目が開けていられなかった。眠っていた訳ではなかったので、声を掛けられればすぐ反応したから「良好」。





# by m-teshigoto | 2017-07-05 11:47 | 病院のベッドの上で | Comments(0)  

日記代わりのメモ 〜4/9

4月に入って日記代わりのメモを書き始めた。


病室は、外科の急性期病棟の6人部屋。

人工関節を入れた、大腿骨を折ったなど、高齢者の方が多かった。


本人mはといえば、ようやく尿のドレーンから解放され、看護師さんに

車椅子でトイレへ連れて行ってもらえるようになったばかり。

頭痛とめまいを道連れに、それでもわりと元気に日々を送っていた。

差し入れの「アイス」と「新聞」はこちらからのリクエスト。

やや熱っぽかったことで「アイス」。

音や光に過敏になってテレビもラジオもダメだったことから「新聞」。

せっかくの「お菓子」は、口に入らないことが多かった。

そう、なにせ血圧や血糖値など、数字で管理される身の上だったのでね。


4/4  主治医のI先生によるカンファレンス。友人S、I、N同席。

4/5  来客2人。お菓子、アイス、新聞。

4/6  来客2人。お菓子、アイス、新聞。

4/7  来客2人。お菓子、果物。

4/8  土曜日。雨。空調は強冷。頭痛薬は在庫切れとかで朝からずっと頭痛。

リハビリも車椅子で行き、3分の2位に減らしてもらう。ふらつきもある。

友人H来て紅茶と本の差し入れ。大家さん他来客4人。果物、プリン、お茶。

4/9  日曜日。胸バクとめまい続く。リハビリも休み休みやる。

昨夜、新規入室有り。床ずれの痛みがあるらしい。

同室の認知症のお年寄りが夕方から騒ぐ。来客は従兄夫妻他2人。


「胸バク」とあるのは何かの拍子に胸がバクバクする症状。

心電図計もずっとつけていたけれど大事には至らず。


ストレスだったのかも。


# by m-teshigoto | 2017-07-04 16:28 | 病院のベッドの上で | Comments(2)  

メールのおかげ

メールに返事が来た。

鍼灸の先生からのお返事。
「大変なことに…。事情はわかりました。折を見て伺います。」

友人からは「びっくりしました! どうしたのですか? 手術って?」。
たまたま4月1日だったので一言「エイプリルフールの冗談か…」と添えてあった。

短い文章で書ききれないことも多かった。
「入院していること」と「手術をしたこと」を伝えるのがやっと。
実際のところ本人mにも状況がよくわかっていなかったのだから。

ただ、ベッドの上の生活にメールが加わったことで、
何もすることのない(できることのない)心許なさや孤立感はかなり薄まった。
メールのやりとりで「人と繋がっている」とまでは思わなかったけれど、
気がついたら病院のベッドの上という仰天の事態に
行き場を失いそうだった気持ちを日常に繋ぎ止めてくれたのはメールだった。

# by m-teshigoto | 2017-07-03 12:26 | 病院のベッドの上で | Comments(0)